何かいろいろ創作物を入れていこうと思います。広告変更してみた。
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彼は、走っていた。
何かを追いかけているわけではない。
何かから逃げているわけでもない。
本当はただぼんやり歩こうと思っていただけなのに、気がついたら走っていた。
散歩ついでの見回り。
体を動かすのは好きだ。
全身を使って、前方に見えた岩を飛び越える。
ざ、と着地したところで、ふと目に入った色があった。
緑あふれる森の中では異質な、白い塊がある。
小さくはない。
ほぼ円形のそれは、彼の身長ほどもあった。
「……?」
首を傾げた拍子に、髪に飾られたいくつもの石が音を立てた。
息はほとんど上がっていない。
白い塊に近寄ってみると、ふかふかした、毛皮だということがわかった。
少し薄汚れているが、毛足は長い。
手を伸ばして、それに触れる。
柔らかなその毛に触れたと同時に、白い塊は見てわかるほど飛び上がった。
それは勢いよく振り返ると距離を置いた。
犬に似たその獣。
――魔獣。
赤い瞳を戸惑い気味に揺らしながら、ぽかんと見ている彼を睨んでいる。
大型とされる魔獣よりも3倍は優にある体が、不意に揺れた。
あ、と思った時には、魔獣は意識を失ってその場に崩れ落ちた。
「それで何で連れて帰ってくるんだよ」
「だって放っておけないじゃないか」
「放っとけそんなもん」
ケッ、とはき捨てて、ライナートは書類に視線を落した。
「役に立たねぇ穀潰しを養う余裕なんざねぇからな」
口の悪い隻眼の彼は、視線を上げると唇の端をあげた。
「問題が起きたらてめぇで処理しろよ」
「! あぁ!」
許可が出た、と知って彼は笑顔で大きく頷いた。
何かを追いかけているわけではない。
何かから逃げているわけでもない。
本当はただぼんやり歩こうと思っていただけなのに、気がついたら走っていた。
散歩ついでの見回り。
体を動かすのは好きだ。
全身を使って、前方に見えた岩を飛び越える。
ざ、と着地したところで、ふと目に入った色があった。
緑あふれる森の中では異質な、白い塊がある。
小さくはない。
ほぼ円形のそれは、彼の身長ほどもあった。
「……?」
首を傾げた拍子に、髪に飾られたいくつもの石が音を立てた。
息はほとんど上がっていない。
白い塊に近寄ってみると、ふかふかした、毛皮だということがわかった。
少し薄汚れているが、毛足は長い。
手を伸ばして、それに触れる。
柔らかなその毛に触れたと同時に、白い塊は見てわかるほど飛び上がった。
それは勢いよく振り返ると距離を置いた。
犬に似たその獣。
――魔獣。
赤い瞳を戸惑い気味に揺らしながら、ぽかんと見ている彼を睨んでいる。
大型とされる魔獣よりも3倍は優にある体が、不意に揺れた。
あ、と思った時には、魔獣は意識を失ってその場に崩れ落ちた。
「それで何で連れて帰ってくるんだよ」
「だって放っておけないじゃないか」
「放っとけそんなもん」
ケッ、とはき捨てて、ライナートは書類に視線を落した。
「役に立たねぇ穀潰しを養う余裕なんざねぇからな」
口の悪い隻眼の彼は、視線を上げると唇の端をあげた。
「問題が起きたらてめぇで処理しろよ」
「! あぁ!」
許可が出た、と知って彼は笑顔で大きく頷いた。
意識が、不意に遠ざかる。
「寝るな」
途端、見透かしていたかのように叱責が飛んだ。
苦痛はもはや慣れてしまった。
痛みはもう遠い。
此処で意識を失えば、きっともう二度と目を覚まさないだろうという予感はあった。
震えるまぶたを押し開ける。
決して明るくは無い室内の、見慣れた天井がぼんやりと見えた。
何度か瞬きをして、視界をはっきりさせる。
傍らに、一人座っていた。
憮然とした表情。
けれどその表情が、自分を心配しているのだと分かるほどには、長く過ごしていた。
呼吸が苦しい。
息をするのさえ酷くつらい。
「……ちゃんと、呼吸をしろ」
眉間にしわを寄せて言われ、微かに笑う。
笑うと少し胸が痛かったが、かまわなかった。
ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、視線で部屋を見回す。
「……ルシェイドなら、今は席を外している」
それだけで見当をつけたのか、問う前に答えが返ってきた。
それに瞬きで応え、目を閉じた。
酷く、静かだった。
全身の感覚が鈍くなっている所為か、先ほどよりも痛みが少ないのがありがたかった。
「リーヴァセウス」
何処か切迫したような声に、目を開ける。
「……ライナート……」
吐息に乗せて、囁く。
声は酷くかすれて、聞き取りにくかった。
手を伸ばせば、すぐに握り締められる。
温かいそれに、全身に入っていた力が抜けた。
「……ありがとう」
ちゃんと、聞こえただろうか。
返事を聞く前に、視界が暗くなった。
誰かが叫んでいる声がする。
けれどもう、遠い。
ゆっくりと浸るように、意識は闇に飲み込まれていった。
「寝るな」
途端、見透かしていたかのように叱責が飛んだ。
苦痛はもはや慣れてしまった。
痛みはもう遠い。
此処で意識を失えば、きっともう二度と目を覚まさないだろうという予感はあった。
震えるまぶたを押し開ける。
決して明るくは無い室内の、見慣れた天井がぼんやりと見えた。
何度か瞬きをして、視界をはっきりさせる。
傍らに、一人座っていた。
憮然とした表情。
けれどその表情が、自分を心配しているのだと分かるほどには、長く過ごしていた。
呼吸が苦しい。
息をするのさえ酷くつらい。
「……ちゃんと、呼吸をしろ」
眉間にしわを寄せて言われ、微かに笑う。
笑うと少し胸が痛かったが、かまわなかった。
ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、視線で部屋を見回す。
「……ルシェイドなら、今は席を外している」
それだけで見当をつけたのか、問う前に答えが返ってきた。
それに瞬きで応え、目を閉じた。
酷く、静かだった。
全身の感覚が鈍くなっている所為か、先ほどよりも痛みが少ないのがありがたかった。
「リーヴァセウス」
何処か切迫したような声に、目を開ける。
「……ライナート……」
吐息に乗せて、囁く。
声は酷くかすれて、聞き取りにくかった。
手を伸ばせば、すぐに握り締められる。
温かいそれに、全身に入っていた力が抜けた。
「……ありがとう」
ちゃんと、聞こえただろうか。
返事を聞く前に、視界が暗くなった。
誰かが叫んでいる声がする。
けれどもう、遠い。
ゆっくりと浸るように、意識は闇に飲み込まれていった。
それは、酷く哀しげに鳴いた。
緑の深い地にありながら、森の木々など見たこともなかった。
目に映るそれは全て石造りの壁で、他の者からは恐れをこめて「南の施設」と呼ばれていた。
当時はそんな風に呼ばれていることも知らなかったし、何より会話は無かった。
ただ冷たい無機質な檻の中、時折運ばれて来るモノ達の泣き声と、意味を持たない呻き声しかその中には無かったからだ。
同じような姿をしたモノが日増しに増え、そして減っていくのを眺めながら、ぼんやりと自分に疑問を持ったのはその時からだった。
俺は何をしているんだろう。
何故此処にいるんだろう。
疑問はぶつける相手もいないまま、自分の中でくすぶっていた。
自分たちを減らしていくのは、黒々とした不定形のモノだった。
意思すら持たないようなもやに捕まって、何処かへ引きずられていく。
引きずられていく者達は僅かな抵抗を見せるが、何故かすぐに大人しくなってしまう。
知識は、何故かあった。
アレが、自分達を作り変えていくモノだと。
自分と同じ形のモノ達と一つの檻で、彼は端に寄って格子にもたれかかった。
「なぁ」
不意に、声が響いたのはそのときだ。
言葉、なんてこの檻で聞いたことなんてなかったから、実際酷く驚いた。
目を開けて見回すと、皆が頭を垂れて伏せている中、こちらを見据える目にぶつかった。
黒い毛並み、鮮やかな緑の目。
見た目は、普通の犬と変わらない。
少し大きいだけだ。
それが、目に意思の光を宿して自分を見ている。
僅かに首を傾げると、そいつは近くによって来て小声で囁いた。
「あんたは、此処に長いのか?」
艶やかな毛並みは見覚えが無かったので、最近来たばかりなのだと思われた。
「……そうだよ」
少し億劫そうに答えると、けれど彼は嬉しそうに尻尾を振った。
「良かった。此処の奴らみんな話通じないからさ。どうしようかと思ってたんだ」
ほんの少し呆れた視線を向け、嬉しそうに振られる尻尾をはたく。
「それは、本来意思が無いはずの獣だからだろ?」
「それじゃ、何で俺達はこうやって話せるんだ?」
「知らないよ。不良品なんじゃない?」
めんどくさそうに答えるが、彼は気を悪くすることもなくそうか、と言った。
「なぁ、俺はアレンって言うんだ。お前は?」
「俺は――」
言いかけて、とまる。
名前、なんてあっただろうか。
「わからないな」
首を傾げて答える。
黒い獣、アレンは驚いたようにぽかんとしてこちらを見ていた。
「……なんだよ」
視線に居た堪れなくなって言うと、アレンはぱっと顔を輝かせて嬉しそうに言った。
「じゃあ俺がつけてやる!」
「は?」
予想外の返答に、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
アレンはうーんと唸って、視線をあちこちにやったり尻尾を振ったりしている。
じっとこっちの顔を凝視していたかと思うと、唐突に声を上げた。
「オルカーンにしよう!」
「……え」
「気に入らない? うーん」
「……いや。……良いよ、それで……」
構わずにマイペースに進めるアレンに根負けして、彼はがくりと肩を落としながら呟いた。
「よし、じゃあオルカーン。……よろしくな」
改めて彼に笑むアレンに、自然と苦笑が漏れる。
「……あぁ」
緑の深い地にありながら、森の木々など見たこともなかった。
目に映るそれは全て石造りの壁で、他の者からは恐れをこめて「南の施設」と呼ばれていた。
当時はそんな風に呼ばれていることも知らなかったし、何より会話は無かった。
ただ冷たい無機質な檻の中、時折運ばれて来るモノ達の泣き声と、意味を持たない呻き声しかその中には無かったからだ。
同じような姿をしたモノが日増しに増え、そして減っていくのを眺めながら、ぼんやりと自分に疑問を持ったのはその時からだった。
俺は何をしているんだろう。
何故此処にいるんだろう。
疑問はぶつける相手もいないまま、自分の中でくすぶっていた。
自分たちを減らしていくのは、黒々とした不定形のモノだった。
意思すら持たないようなもやに捕まって、何処かへ引きずられていく。
引きずられていく者達は僅かな抵抗を見せるが、何故かすぐに大人しくなってしまう。
知識は、何故かあった。
アレが、自分達を作り変えていくモノだと。
自分と同じ形のモノ達と一つの檻で、彼は端に寄って格子にもたれかかった。
「なぁ」
不意に、声が響いたのはそのときだ。
言葉、なんてこの檻で聞いたことなんてなかったから、実際酷く驚いた。
目を開けて見回すと、皆が頭を垂れて伏せている中、こちらを見据える目にぶつかった。
黒い毛並み、鮮やかな緑の目。
見た目は、普通の犬と変わらない。
少し大きいだけだ。
それが、目に意思の光を宿して自分を見ている。
僅かに首を傾げると、そいつは近くによって来て小声で囁いた。
「あんたは、此処に長いのか?」
艶やかな毛並みは見覚えが無かったので、最近来たばかりなのだと思われた。
「……そうだよ」
少し億劫そうに答えると、けれど彼は嬉しそうに尻尾を振った。
「良かった。此処の奴らみんな話通じないからさ。どうしようかと思ってたんだ」
ほんの少し呆れた視線を向け、嬉しそうに振られる尻尾をはたく。
「それは、本来意思が無いはずの獣だからだろ?」
「それじゃ、何で俺達はこうやって話せるんだ?」
「知らないよ。不良品なんじゃない?」
めんどくさそうに答えるが、彼は気を悪くすることもなくそうか、と言った。
「なぁ、俺はアレンって言うんだ。お前は?」
「俺は――」
言いかけて、とまる。
名前、なんてあっただろうか。
「わからないな」
首を傾げて答える。
黒い獣、アレンは驚いたようにぽかんとしてこちらを見ていた。
「……なんだよ」
視線に居た堪れなくなって言うと、アレンはぱっと顔を輝かせて嬉しそうに言った。
「じゃあ俺がつけてやる!」
「は?」
予想外の返答に、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
アレンはうーんと唸って、視線をあちこちにやったり尻尾を振ったりしている。
じっとこっちの顔を凝視していたかと思うと、唐突に声を上げた。
「オルカーンにしよう!」
「……え」
「気に入らない? うーん」
「……いや。……良いよ、それで……」
構わずにマイペースに進めるアレンに根負けして、彼はがくりと肩を落としながら呟いた。
「よし、じゃあオルカーン。……よろしくな」
改めて彼に笑むアレンに、自然と苦笑が漏れる。
「……あぁ」
ゆっくりと、目の前が白く染め上げられていく。
空から舞い散る雪をぼんやりと眺めながら、彼は木の幹にもたれかかってそれを見ていた。
そっと手を伸ばす。
指先に触れた雪はすぐに融け、ただ冷たいだけの水になってしまう。
上げた手をどさりと落とす。
不思議と寒くは無かった。
ただ、酷くだるかった。
投げ出された足はそのまま、彼はため息を吐くように息を吐いた。
白い息は、雪景色に溶けずに風に乗って、すぐに消えた。
-----
「君は! どうしてそういう無茶をするんだ!」
次に目を開けたとき、見えたのは泣きそうに怒る友人の姿だった。
見慣れた姿。
見慣れた部屋。
寒くは無い。
温度は調節されているのだろう。
「……君は、分かってるんだろう? 自分の身体が……」
吐き出すように囁く彼に微笑む。
「……分かってるよ」
「ならどうして!」
「その辺にしておけ、ルシェイド」
遮ったのは銀髪の青年だった。
毛先だけが緑色の。
手には湯気の立つカップがある。
表情を変えずに傍まで来ると、それを手渡してくる。
「……!」
ぐ、と唇を噛み締めて、ルシェイドは身を翻した。
それを見送って、ライナートは彼を振り返ると小さくため息をついて手を伸ばした。
ぽす、と頭に手を置いて、つぶやく。
「あまり心配をかけるな」
思わず顔を上げたときには、すでにライナートは踵を返し、扉へと向かっていた。
返す言葉もなく見送り、手に持ったカップへと視線を落とす。
自然、ため息が漏れた。
「分かってはいるよ……。だけど、ただ、死を待つだけなのは嫌なんだ……」
囁きは小さく、湯気に紛れて消えた。
扉のすぐ外では、複雑な表情でライナートが立っていた。
空から舞い散る雪をぼんやりと眺めながら、彼は木の幹にもたれかかってそれを見ていた。
そっと手を伸ばす。
指先に触れた雪はすぐに融け、ただ冷たいだけの水になってしまう。
上げた手をどさりと落とす。
不思議と寒くは無かった。
ただ、酷くだるかった。
投げ出された足はそのまま、彼はため息を吐くように息を吐いた。
白い息は、雪景色に溶けずに風に乗って、すぐに消えた。
-----
「君は! どうしてそういう無茶をするんだ!」
次に目を開けたとき、見えたのは泣きそうに怒る友人の姿だった。
見慣れた姿。
見慣れた部屋。
寒くは無い。
温度は調節されているのだろう。
「……君は、分かってるんだろう? 自分の身体が……」
吐き出すように囁く彼に微笑む。
「……分かってるよ」
「ならどうして!」
「その辺にしておけ、ルシェイド」
遮ったのは銀髪の青年だった。
毛先だけが緑色の。
手には湯気の立つカップがある。
表情を変えずに傍まで来ると、それを手渡してくる。
「……!」
ぐ、と唇を噛み締めて、ルシェイドは身を翻した。
それを見送って、ライナートは彼を振り返ると小さくため息をついて手を伸ばした。
ぽす、と頭に手を置いて、つぶやく。
「あまり心配をかけるな」
思わず顔を上げたときには、すでにライナートは踵を返し、扉へと向かっていた。
返す言葉もなく見送り、手に持ったカップへと視線を落とす。
自然、ため息が漏れた。
「分かってはいるよ……。だけど、ただ、死を待つだけなのは嫌なんだ……」
囁きは小さく、湯気に紛れて消えた。
扉のすぐ外では、複雑な表情でライナートが立っていた。
「……ッ!」
パキリ。
目の前に散る氷の一つが、触れた指の先で細かな破片となって弾けた。
鋭利な欠片が、指に傷をつける。
思いのほか深く傷つけたのか、鮮やかな赤い血が床へと滴り落ちた。
視線が、床へと落ちる。
何の感情も篭らない目。
呼吸の為に僅かに肩が上下していなければ、まるで人形のようだった。
広くも無く狭くも無い部屋の中、氷の欠片に囲まれて佇みながら、彼はただ、あぁ、綺麗だな、と思っていた。
----
カタリ、と僅かな物音がして、扉が開いた。
無言で入ってきた彼は、部屋の中を見て眉間に皺を寄せた。
険しい表情のまま近づく。
「砕けろ」
硬い声で呟くと、部屋に散っていた氷は跡形も無く砕けた。
彼は手を伸ばせば振れられるほど近くに行くと、地の底から響くような声音で言った。
「てめぇ……こんな所で何やってやがる」
その声と表情に気圧されたように僅かに身を引きながら、彼は答えた。
「……え、と……練習を」
「寝てろッて言っただろうがッ! しかも良く見りゃ怪我してるじゃねぇか!」
雷が落ちた、という表現が似合いそうな声で怒鳴り、怪我をしている手を心臓より上の位置に上げさせる。
「てめぇこの馬鹿がッ! 昨日具合悪いっつって飯も食わなかった挙句練習で怪我とかふざけんなよ!? さっさと来い!」
烈火の如く怒られ、彼はふと笑みをこぼす。
「うん……ごめんね」
思いもかけない笑顔に、彼は眉間に皺を寄せたまま視線を逸らして部屋の外へと引っ張り出した。
それが彼の照れだとわかって、彼は笑みを深くして大人しく手を引かれて行った。
パキリ。
目の前に散る氷の一つが、触れた指の先で細かな破片となって弾けた。
鋭利な欠片が、指に傷をつける。
思いのほか深く傷つけたのか、鮮やかな赤い血が床へと滴り落ちた。
視線が、床へと落ちる。
何の感情も篭らない目。
呼吸の為に僅かに肩が上下していなければ、まるで人形のようだった。
広くも無く狭くも無い部屋の中、氷の欠片に囲まれて佇みながら、彼はただ、あぁ、綺麗だな、と思っていた。
----
カタリ、と僅かな物音がして、扉が開いた。
無言で入ってきた彼は、部屋の中を見て眉間に皺を寄せた。
険しい表情のまま近づく。
「砕けろ」
硬い声で呟くと、部屋に散っていた氷は跡形も無く砕けた。
彼は手を伸ばせば振れられるほど近くに行くと、地の底から響くような声音で言った。
「てめぇ……こんな所で何やってやがる」
その声と表情に気圧されたように僅かに身を引きながら、彼は答えた。
「……え、と……練習を」
「寝てろッて言っただろうがッ! しかも良く見りゃ怪我してるじゃねぇか!」
雷が落ちた、という表現が似合いそうな声で怒鳴り、怪我をしている手を心臓より上の位置に上げさせる。
「てめぇこの馬鹿がッ! 昨日具合悪いっつって飯も食わなかった挙句練習で怪我とかふざけんなよ!? さっさと来い!」
烈火の如く怒られ、彼はふと笑みをこぼす。
「うん……ごめんね」
思いもかけない笑顔に、彼は眉間に皺を寄せたまま視線を逸らして部屋の外へと引っ張り出した。
それが彼の照れだとわかって、彼は笑みを深くして大人しく手を引かれて行った。