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「てめぇに関係あるか馬鹿鴉」
自分の少し後ろを付いてくる人物に悪態をつく。
「酷いなァ。良いじゃないか教えてくれたって」
後ろを付いてきながら、けれど応えた様子はない。
はぁ、とため息をつくと、振り返って視線を合わせた。
「氷雨。ついてくるなら命の保障はしねぇぞ」
「えェ? 何だそれ」
きょとん、と氷雨が見返す。
「今向かってんのは俺らの集会所だ。てめぇは餌にしかならねぇとこだよ」
諭すように言うと、氷雨は眉尻を下げて頷いた。
「そっかァ。それじゃ仕方ないなァ」
「わかったらさっさと行け」
「うん。じゃァまた」
言い終えると、ばさりと羽音を響かせて氷雨はその場からいなくなった。
氷雨が飛び去った後に残された黒い羽を見て、彼はもう一度、ため息をついた。
この洞窟に近づく者は滅多にいない。
その、珍しい音。
迷い込んだにしては足音は一定だ。
そしてかすかに鼻に付く臭い。
音も立てずに立ち上がると、足音の方へと進む。
足音が近づいたところで、小さな石をひとつ、放り投げた。
からん、と乾いた音が洞内に木霊する。
足音はぴたりと止まり、次いで声が聞こえた。
「白雨」
自身に呼びかけるその声に、肩の力を抜いて姿を現す。
わずかに気配が動き、足音がはっきりとこちらへ向かってきた。
「足音を立てるなんて珍しいね。氷雨」
すぐ近くで、足音が止まる。
ツンと鼻に付く臭いが、彼から漂ってきているのは確実だ。
錆を含んだ、鉄の臭い。
けれど、怪我をしている様子はない。
彼は一言も発さず、頬に手を伸ばして触れた。
輪郭を確かめるようなその動きに、怪訝そうに眉を寄せる。
触れていた手が目蓋に達したとき、自らの意思に反して肩がぴくりと震えた。
氷雨が今触れている目蓋の下に、眼球はない。
「白雨」
再度の呼びかけに、吐息で応える。
「お前の、目ェ盗ったって吹聴してた輩がいたから、同じ目にあわせて来たんだ……」
触れている手が、かすかに震えている。
氷雨にこの暗がりは見通せない。
それを承知で、白雨は微笑んだ。
「……馬鹿だな。お前が、傷を負うことはないのに」
「傷じゃァ、ねェよ」
目蓋に触れていた手を頬に移し、氷雨が呟く。
自分にはもう光が見えない。
けれど。
微笑んだまま、白雨は頬の手に自分の手を添えた。
疲労と怪我で身体は酷く重い。
避けきることはできない。
急所を外せば怪我で済むだろう。
けれどこの疲れきった身体で、その次の攻撃を避ける自信はない。
耳慣れた声が叫び声を上げていた。
その声に反応するように、左腕が刃を防ごうと持ち上がる。
防げは、しなかった。
よほど切れ味が良いのか、左腕はほぼ両断され、その勢いのまま刃の先端は心臓を貫いた。
引き抜かれた衝撃であふれ出す血液が、視界をも赤く染める。
急激に失われる血液に、意識が闇に落とされていく。
床に倒れた衝撃は殆ど分からなかった。
掠れた視界に金色の光が映る。
――ごめん。俺は、此処までだ。
意識の隅で謝って、彼の意識は闇に溶けた。
動くものの誰もいなくなった空間で、彼は荒い息を吐いて立っていた。
『敵』は、もういない。
自分は間に合わなかった。
目の前の彼は、左腕を失い、血に塗れた姿で横たわっていた。
銀色の長い髪は血に染まり、虚ろに開いた金色の瞳に光は無い。
先に死ぬんだと分かっていた。
だからといって、何も感じないわけはない。
崩れるようにその場に膝を突く。 そっと、まぶたを閉じさせる。
その上に、透明な水滴が落ちた。
とめどなく涙を流しながら、彼はしばらくの間じっと蹲っていた。
疲れ切ったような声で、ぽつりと呟く。
目の前には、町があった。
正確には、町であったもの、だ。
家並みは殆ど瓦礫と化し、生の息吹はまったく感じられない。
瓦礫からはみ出した手は自身の血で赤黒く染まり、そこに覆いかぶさるように子供が事切れている。
傷は、刀傷だ。
一刀の元に切り捨てられた者もいれば、何度も突き刺したような者もいる。
凄惨なこの風景がどこか遠いのは、血の臭いが風に吹かれて薄いからに他ならない。
顔をしかめながら、町を見て回る。
死体の皮膚には腐敗網が広がっていた。
「3日、ってところかな」
ぽつりと呟いて、視線を廻らせる。
生き物は、いない。
次の町へ行くべく、町の外へ向かう。
見ていない町は、後ひとつ。
他の町は死後の日数に違いはあれど、すべて同じ状態だった。
終わるはずではなかった世界が終わる。
そのことに、あの人は心を痛めたりはしないのだろうけれど。
それでも、この惨劇を作り出した人物を思って、彼は深く俯いた。
耳障りな呼吸音。
痛いほど心臓が脈打っているのに、血液が足らなくて頭痛がする。
手足はまるで中の骨を抜いてしまったかのようにだらりとして、ぴくりとも動かない。
痛む瞼をこじ開けて視線をさまよわせる。
視界はぼやけていたが、ぼろ布のように転がるものが見えた。
強く、瞼を閉じる。
昨日まで笑ってた。
ふらりと立ち寄っただけの自分を、厭わずにもてなしてくれた。
もう、誰かに笑いかけることも無い。
ごほ、と液体を吐く。
ぬるりとした生ぬるい感触に、吐き気がした。
きっと床は血だまりだろう。
かなりの量を吐いたから。
途切れそうな意識をつないで、指先を動かす。
声を出すのは難しそうだから、あとは指くらいしかない。
回復用の陣を描こうとして、動きを止めた。
このまま。
何もしなかったら、死ねるだろうか。
目を、閉じる。
細く、長く息を吐くと、体が少し楽になった気がした。
深く深く、沈みこんでいく。
何処にもいけないと分かっていても。
ただこの脱力感に、身をゆだねていられたら。
意識の隅で、砂利を踏む重い足音を聞いた気がした。
ぱたぱたと、水の音で目が覚めた。
目を開けると、見知らぬ子供が無表情に見下ろしていた。
視線が合うと、子供は軽い足音を立ててそこから立ち去った。
入れ替わりに重い足音が響く。
「起きたか」
錆びた、声だ。
反射的にそう思った。
重々しい雰囲気のその男は、暗い眼をして一言、言った。
「生きてたのはお前だけだ」
それを聞いたとたん、胸に諦めにも似た黒い感情が沸き起こった。
硬く目を瞑ると、重い足音が遠ざかる音がした。
いくつもの顔が脳裏に浮かぶ。
涙は、出ない。
出せるわけが無い。
結局、どれだけ死の淵に立たされても、確実に致命傷は負わず、こうして救いの手がある。
自らを刃で貫いてみたところで、体には傷はできない。
死なずの呪い。
それが、自分にかかった呪いなのだから。